※原作設定、その後です。根性の最終更新。
『7月23日』
夜陰に、背の高い男の影があった。
丁度伸びやかな二十台の青年と同じくらいの太さの、滑らかな幹に手を触れる。
「…久しぶり、ですね」
ここは伊勢神宮の中にある禁足地の泉のほとりだ。
一夜にして見事な若木が育ったとして現代に起こった奇蹟と名を馳せたこの地は、もともとの霊場としての格も含め、不審者ひとり見逃さぬよう厳重な警備が行われていた。神域に結界を張ることの不遜さは十分承知の上だったが、私は衛士の目を晦まし、自分ひとりを囲む程度の小さな結界をはった。彼との逢瀬を誰にも邪魔をされたくないというような殊勝さを盾にするつもりはなかったが、余計な騒ぎは避けたかった。
少しだけ惑って、心の中で名を告げる。
手をあてた幹からは拍動が伝わってきて、それが彼のものなのか、それとも彼の親友のものなのかと愚にもつかないことを考えた。
記憶は近くて遠く、今もまだ痛みを伴っている。きっとこの先もずっと癒えることはないだろう。
400年、共に生きて、いくつもの関係を築き、いくつもの名前を呼んできた。
しかし、なぜか思考に蘇るのは最後まで呼び続けたあの人の名前。
憎み、反発し、惹かれ、その全てを愛しく思った。
複雑な感情は絡まり続け、憎しみを分離することは難しく、しかし漸く結ばれた時には全ては気づかぬ間に終わりへと向かっていた。
後悔は、したくない。
けれども愛しく思う心は心の底に沈めることさえできず、日毎胸を痛めつける。
想いの深さを、そうして確認し、あの人を感じた。
捩れた感情と恋心。
もう二度と、触れ合えぬかも知れぬ想い人。
「……女々しいですね」
不幸を伴侶に生きていくことを、恐らくあの人は望まない。
しかしまだ、想い切るには時が足りていなかった。
細胞の一つ一つが渇望する。
世界にあの人はいないのに、世界はあの人で満ちていた。
だから、あの人を飲み込んだこの世界を、憎むこともできない。
閉じた瞳の裏に、鮮やかな面影が蘇る。
「誕生日、おめでとうございます」
ここに居たら、彼はなんと答えただろう。
「……高耶さん」
その名は哀しみであり、愛そのものだった。
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